白山信仰が今ホットである。
多くの人は「なんですかそれ?」という感じだろうが、
その世界では(どの世界よ!)ひそかに白山詣でが増えている。
とはいっても、単に信仰の対象としてではなく「白山信仰とは何なのか」という問題に対してだ。
旧来からその研究が無かったわけではないのだが、あまりに文献的な資料が少ないことと、その信仰痕跡が広範囲に広がり、地域的な偏差が激しく、さらには時代によってさまざまな要素が入り乱れているため、どうしてもその像を絞り込めないといった状態が長く続いていた。
現在、歴史学、民俗学、宗教学的な立場からさまざまな研究成果が発表されているが、なかなか確信に迫る事ができない。その山容と同じように奥深く神秘的な姿を保ち続けている。
白山信仰はとどのつまり「水」の信仰である。
白山信仰は「祓い神」の祖神である。
養蚕の女神である
朝鮮の渡来神である
天白(北極星)神である
再生(黄泉がえり)の神である
とらえ方はそれぞれだが、
それぞれその性格を有しているようにも見える。
それらの性格に共通なものは、それぞれの時代において恐れと禁忌の対象であったということか。
そのような対象に接近することはことごとく困難であり、デンジャラスな行為といえる。
しかし、現代社会はそのような圧倒的なパワー、人間がコントロールすることが到底困難な力に触れたい、
または浄化されたいという社会意識(科学的な表現ではないが)が高まっているともいえるのではないか?
そのようなちっぽけな知性で、知識欲を満足させようなどと無駄なことを考えず、
その「しろきおやま」を感じる事のほうがずっとサスティナブルなのではないかな?
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