2008年11月29日土曜日

姫田先生がやってきた。

先日、ドキュメンタリー映像作家の姫田先生が郡上にいらした。

来年の9月に郡上で「山村会議」を実施するための来訪だ。

姫田忠義氏は「民俗映像研究所」を主催し、1960年代から日本各地に残る、
基層文化としての地域の暮らしや人々のありようを映像として残し、
失われかけているその風景をいくつもの作品として世に送り出してきた人だ。

山村会議は、その作品の撮影地となった地域はの人々や、作品を見た人たちが、
地域文化を再発見するきっかけとして自主的に開催されてきた会議として
すでに各地で6回開催されてきている。

去年は三重の御浜で開催されたので私も少し顔を出しどんな感じの内容なのかを
知る事ができた。

郡上開催となったもの、以前郡上の美並村で「粥川風土記」などの記録映像を
製作されたご縁で来年の開催となった。

姫田先生は挨拶で「郡上市の特色として、その中心を流れる長良川の水系と、その
水を生み出している白山山系の山並みを丸ごと市域として抱え、それがこの地域の
基層文化を形作ってきた背景となっており、現在もなお生活の中に生ていることは
世界的にも発信できる価値なのではないか」と語っていました。
この山村会議で何ができるかというのは「地域から学ぶという事」であり、他者が
己を見つける鏡として、その地に生きる人々の生の姿から学ぶ機会だということです。


郡上サイドの推進者としては郷土史研究者の池田勇次先生が引き受けてくださっている。
池田先生も決してこのようなイベントを表に立って運営するのは本意ではないのだろうが、
自分が進めない事には、開催にこきつかないと思ってのことだろう。

今回の実行委員会の事務局には、裏方としてエネルギッシュな若者たちが支えており、
彼らのアイデアや実行力をバネに内容の濃い山村会議になるだろうと期待している。

2008年11月28日金曜日

山の人生

このブログのタイトルにもなっている山の人生という言葉は、
日本の民俗学の祖とも言われる柳田國男の著作からとっている。

経世済民を使命とする明治の農商務省官僚であった柳田は、
日本各地の民の暮らしぶりを視察して廻るなかから、
鄙の地に残る日本人の暮らしぶりの中に、
今にも無くなりそうなその地に残る固有の文化と暮らしぶりを
目の当りにし、それを記録し「目の前の事実」として残した。

そして、それら地域に残る民間伝承や事象を比較研究する中で、
古来から日本人がどのような変節を経て現在に至るかを推考し、
日本民俗学の基礎を築いたと言われている。

柳田國男が100年前に「今まさに消えようとしている」事実は、
たぶんもうすでに失われている「事実」であり、私たちはその事を
書物とか記録を通してしか知る事ができない。

記録された物(事)を通して知るという事がどういうことか、
現代に生きる私たちはその事を深く考えないで暮らしていける。
というよりも、
そのような物や事を「記録されたもの」の情報として知っていると
認識している。

私たちはそのような情報の中に生きているので、
その意味をなかなか理解する事ができないが、
知るということの根源には本来共有するという感覚が
前提としてあるということを、忘却して生活している。

それはたぶん、人間が感知できる器官としての退化に他ならない。
その地の気候風土や地理的条件を感知し、その地に吹く風や、咲く花の中に
人が生きていくための情報を読み取る能力や蓄積が退化しているということだ。

日本の民俗学や歴史家、在野の郷土史家達はそのように地に這うように暮らしてきた
日本人の暮らしぶりをたどり推考し、その記録を今日に残しているが、
一方でそれを受け取る情報の受け手がその感覚や感性を喪失している事も事実としてある。

そのぎりぎりの世代、
その感性をまだ体内に器官として残している世代が、
もう80歳を越そうとしている。
彼らがその感覚として持っていた器官は、
長い間社会の中で「時代遅れ、迷信」として一笑され、
発露を見失っていた。

それは「社会の中でなんの価値もない想念」として抹殺された
といっても過言ではない。
彼らは、その事に異議を唱える機会も、手段もないままに、
常世のコミュニティーに移行していくのだろう。

「山に埋もれたる人生」とはこのことだ。

しかし、
埋もれたものは掘り起こすしかないのだ。
掘り起こすためには、その器官を開発するしかないのである。
それは、
その景色の中に身を置き、その身体で風や土や人と触れ合うなかで、
少しずつ感覚を取り戻すという行為と身体体験が必要なのだ。

このブログはそのような経験譚を少しづつ聞き書き、
埋もれたるものを掘り起こそうという身体行為の記録として残したい。

2008年11月24日月曜日

ジャックマイヨールとみそぎ

ある友達の若い頃の放浪の話を聞いていて面白い話しを聞いた。
彼は若い頃世界を放浪し、小笠原の地にも長い間逗留したそうだ。その時他にやる事もないので見よう見真似で潜水をしていたら徐々に深くまでもぐる事ができるようになり、マイヨールのような呼吸法も自然に身につけることができたという。

私はその話を聞いていて、「水に潜(もぐ)る」ということの神秘性を思った。
私達にはエラがない(当たり前だが)だから水中で呼吸する事ができない。
それは「人は鳥のように飛ぶ事ができない」という命題と同じく人間の根源的な無能力を示している。
この世で人間にはできない事=(信仰としての)あの世の実存性という図式が古来より成り立っている。人は死んだら海の向こうの水底に行ったり、高き山の頂上に飛んでいったり、
地上の底にあるという地獄に行ったりするという想念の発生だ。

そう考えると、禊(みそぎ)祓(はらい)という行為の持つ日本古来の精神世界の想念は、この世の不浄(死を回避できない肉体)を水を潜(くぐ)るとこで活性させる擬似再生の儀式」であり、水に潜るという行為により活性化する、DNAに潜むの無意識のパワーを引き出す行為なのかもしれないと。

私の棲む地方には、白山山系から湧き出で沁み出す水が集まり、長良川という清らかな水系を形成していくさまざまな川があり、その川の清らかな流れの中で子供達は夏を過ごし、それを忘れられない大人たちは寝る時間を削って、朝な夕な、魚取りという大義名分の名の下に深夜まで川に入り遊んでいる。
それは言わば川の神、水の神による禊神事であり、川から上がってきた男達はなぜか色っぽく生命感に溢れた表情になるのである。